山岡進平実在!?大河ドラマが生まれた日は実話!キャストあらすじと再放送や見逃し配信情報をリサーチ!

邦画・ドラマ

NHK総合で2023年2月4日午後7:30~8:46(76分)に放送された【大河ドラマが生まれた日】の登場人物、生田斗真さんが演じるテレビマン・山岡進平(やまおかしんぺい)は実在の人物か?が気になったので、詳しく調べてみました。また、キャストとあらすじ、再放送や見逃し配信の情報も併せて調査しました。

この記事では
山岡進平は実在するのか?大河ドラマが生まれた日は実話!
大河ドラマが生まれた日 キャスト
大河ドラマが生まれた日 再放送と見逃し配信情報

以上の事についてまとめています。



山岡進平実在?大河ドラマが生まれた日は実話!

山岡進平実在?

ドラマの主役は生田斗真が演じる山岡進平(やまおかしんぺい)は若手アシスタントディレクターです。山岡進平とはどんな人物なのか、実在するのかについて調査しました。

結論から言うと「山岡進平」は実在しませんがモデルになった人物は実際に「花の生涯」でディレクターを務めた大原誠(おおはらまこと)さん。昭和35年に入社、花の生涯では助監督を務めていました。この時24歳。「桜田門外の変」のシーン撮影で東映京都撮影所との交渉を実際に担当した人物で大原さんのエピソードが多く使われています。

大原さんの他にも演出の井上博さん、合川明さんのエピソードを合わせて「山岡進平」と言う人物像が作られました。

今作の題材は大河ドラマ事始めなので、当然のことながらモデルとなる実在の方がいらっしゃいます。大河ドラマ誕生までは数々のエピソードが残されており、大筋は実際に起こったことを下敷きに描いてはいますが、やはりドラマ化するにあたって面白くするために脚色も加えています。ですから登場人物たちは誰か一人をモデルにしたというよりも、当時の奮闘が伝わりやすいように肉付けをしたキャラクターになっています。

制作時、主人公の設定をプロデューサーにするという可能性もあったようです。

生田さんが出て下さることで、主人公をどんな設定にするかも、かなりイメージが固まりました。僕と佐野プロデューサー、知財センターの千野博彦プロデューサー、そして脚本の金子さんの4人で、主人公の設定をどんな風にするのか、史実で言えば誰のポジションの視点で描くのが面白いのかをかなり話し合いました。金子さんは「主人公を誰にするのがベストか話し合いをすること自体が珍しい」とおっしゃっていましたね(笑)。脚本家が入る時点で、主人公が誰なのかは決まっていることが多いですからね。

ギリギリまで悩んだのは、演出助手(ドラマの中では山岡の役割)か、プロデューサー(ドラマの中では楠田の役割)のどちらを主人公にするかでした。実は大河ドラマ第一作『花の生涯』のプロデューサーには当時逸話がたくさんあり、それだけでも面白くなりそうだと思っていたんです。ただ、あまりに制作の中心にいた人物だっただけに、その成功までの道のりを描いた場合、NHKの看板番組ができるまでを礼賛する番組になってしまうのではという懸念もありました。そうした番組にはしたくなかったのと、中心人物であるプロデューサーに振り回されて右往左往する生田斗真さんを思い浮かべたら、もうどうにも面白そうで(笑)、結果として生田さんには演出助手を演じていただくことにしました。

「アシスタントディレクター」という中堅社員の立場にすることで、視聴者から見た時に上司に使われる中堅の立ち位置の苦しさやドタバタぶりでより多くの共感を得られると踏んだのでしょう。確かにその通りでしたね。アシスタントディレクター山岡進平と同じ目線で見る事ができました。

 

大河ドラマが生まれた日は実話!

NHK放送史の中に「大河ドラマ 制作者座談会」というコーナーがありまして、「花の生涯」の制作にあたったメンバーの会話が記録されています。中井貴一さんが演じた局長も実際の人物で長沢泰治さんと言う方、どの業界から来た人かわかりませんが芸能のプロではないくせに「テレビをメジャーにしろ」「映画に追いつけ」と無茶を言ったそうです。

配役の下り、五社協定、協定が崩れたくだり、桜田門外の変の撮影秘話、全てが事実です。細かい演出などはもちろんあったでしょうが、これはもう「実話」と言って間違いないです。

大河ドラマが生まれた日 あらすじ

1960年以降のテレビ業界はれい明期に当たり、カラー放送が始まったり、1963年には日米間で初の衛星中継がありました。(初めての中継で伝えられたニュースはケネディ大統領暗殺速報でした)そんな時代に、初めてテレビで大型時代劇に挑戦し、夢をかけた人たちの思いを描いたテレビマンの情熱がぶつかり合う「大河ドラマが生まれた日」

それはドラマ業界を全く知らない新しい芸能局長から発せられた指令「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作れ!」この一言が発端になり、現在の大河ドラマにつながる、映画業界も巻き込んだ大変革が行われるのでした。

主人公はNHK芸能局の若手アシスタントディレクター山岡進平(生田斗真)、局長(中井貴一)の「映画に負けない日本一の大型娯楽時代劇を作れ!」との無茶ぶりに困り果てていました。舞台は1962年、NHKにはまだ「大河ドラマ」は存在していない時代です。

この頃、映画会社は「五社協定」を結び専属俳優をテレビに出さないことにしていました。五社協定とは日本の映画会社5社 松竹、東宝、大映、新東宝、東映 後に日活が加わり6社になりましたが、協定内容は各社専属の監督、俳優の引き抜きを禁止する、監督、俳優の貸し出しの特例も、この際廃止するというものでした。 1953年に結ばれ、1971年に自然消滅。

この協定は各社の社長しか知らないような協定だったそうです。隠されていた協定で、1社がある俳優を使わないと決めたら他も足並みをそろえる、と言ったような。だから、表向きにはわからなかったけど、俳優たちは何となく知っていて、出たくても、暗黙の了解のようなもので息をひそめていたのではないでしょうか。

それを突破すべく、山岡と上司の楠田(阿部サダヲ)は大スター佐田啓二(中村七之助)の自宅に日参します。しかし何度足を運んでも色よい返事はもらえず、諦めかけていましたが、佐田はアメリカの友人から「将来、娯楽の王様はテレビに変わる」と聞き、出演を受けてくれたのです。

1962年、日本テレビはすでにフランスのフランス国営放送(RTF)と番組交換協定締結をしていましたし、グローバル化の波は押し寄せてきていたのです。

こうして撮影されたのが大河ドラマ第一作、幕末の人間模様を描く「花の生涯」です。この「花の生涯」に出演した中村七之助さんが演じた「佐田啓二(本名・中井 寛一」は中井貴一さんのお父様です。そして実際に「花の生涯」に出演なさっています。

局長役の中井貴一さんは中村七之助さんが演じた佐田啓二が亡くなった父親によく似ていたと感慨深く感じておられたそうです。

大河ドラマの第1作”花の生涯”の概要

大型娯楽時代劇(後に大河ドラマ)と呼ばれる記念すべき第一作「花の生涯」のあらすじは―――

激動の幕末を舞台に攘夷(じょうい)論に反対し、桜田門外の変で水戸浪士の襲撃をうけて果てた大老・井伊直弼の生涯を、周りの女性たちを絡ませて描かれました。

出演:尾上松緑(二代目)、淡島千景、香川京子、佐田啓二、八千草薫、中村芝鶴、北村和夫、西村晃ほか。

撮影秘話
「今は本番でカメラが回り始めてから芝居が始まるまで数えるのはせいぜい5秒ですが、あの時代は30秒前から数えていました。役者が30秒もじーっと待っているのはドキドキするだろうと思いました」

「桜田門外の変のシーンで、雪が降ったように見せるため、瓦を絵の具で白く塗って、地面に白い布をかぶせました。撮影では、みんなで何回も白い布を持って走りました。それが本当に雪に見えるのが面白いです」

今の時代からでは考えられませんね、でも当時としては画期的な方法だったのでしょうね。

 

大河ドラマが生まれた日 キャスト

「大河ドラマが生まれた日」NHK職員

山岡進平
NHK芸能局の若手アシスタントディレクター。
生田斗真(いくた とうま)1984年10月7日 38歳 175cm A型
楠田欽治
NHK芸能局プロデューサー。山岡の直属の上司。
これまでにない日本一の時代劇を作るべく奔走する。
阿部サダヲ(あべさだお)1970年4月23日52歳 164cm A型
大江育間
芸能局のアシスタントディレクター。山岡の後輩ハードな収録が続く中、大失敗をしてしまう…。
矢本悠馬(やもと ゆうま)1990年8月31日32歳 161cm AB型
本山靖道
NHK芸能局のチーフディレクター。『花の生涯』の演出を担当。山岡の先輩
松尾諭(まつお さとる)1975年12月7日47歳 177cm AB型
成島庭一郎
NHK芸能局長「映画に負けない新しい連続大型時代劇を作れ」と大号令を発する
中井貴一(なかい きいち)1961年9月18日 61歳 181cmA型

「大河ドラマが生まれた日」天福荘

渕上明恵 
山岡の下宿先の娘
忙しい山岡の体調を気遣って面倒を見ているが、ひそかに恋心を抱いている。
松本穂香(まつもと ほのか)1997年2月5日25歳 162cmO型
渕上憲明
山岡の下宿先の主人学生時代から山岡の面倒を見て息子のように思っている。テレビが大好きで、買うべきか悩んでいる
伊東四朗(いとう しろう)1937年6月15日 85歳166cm O型

 

「大河ドラマが生まれた日」『花の生涯』出演者

佐田啓二演
戦後の大スター。松竹の看板俳優。山岡たちはテレビドラマへの出演をオファーするが、テレビに出ることをしぶる。
中村七之助(なかむら しちのすけ)1983年5月18日 39歳
淡島千景 
映画界の大スター。大河ドラマ第1作『花の生涯』のヒロイン。テレビの収録の手法は映画と勝手が違い戸惑う
ともさかりえ 1979年10月12日 43歳 168cm A型

「大河ドラマが生まれた日」周辺人物

六車宗夫
京都太秦の映画撮影所の次長。テレビ界を冷めた目で見ているが、いい作品を作りたい気持ちは同じ
三宅弘城(みやけ ひろき)1968年1月14日 55歳 165cm O型
吉種
NHK近くの屋台の主人、山岡と楠田が仕事帰りに足しげく通う
イッセー尾形(イッセーおがた)1952年2月22日 70歳 A型
楠田美登理
楠田の妻で良き理解者
倉科カナ(くらしな かな) 1987年12月23日 35歳 158cm O型
山岡光雄 
山岡の父親
永島敏行(ながしま としゆき)1956年10月21日 66歳 182cm O型

山岡進平実在?再放送や見逃し配信情報をリサーチ!

テレビ70年記念ドラマ「大河ドラマが生まれた日」
NHK・BSP/BS4K再放送2月20日(月)21時~
U-NEXT見逃し配信02月21日 23:59まで配信
* U-NEXTは31日間の無料期間があり、その期間中にもらえるポイントを利用するとNHKオンデマンドのまるごと見放題パックを初月無料トライアルで利用可能です

NHK総合でも再放送がある可能性もありますので、チェックして更新しますね。



山岡進平実在?大河ドラマが生まれた日は実話!キャストあらすじと再放送や見逃し配信情報をリサーチ!考察とまとめ

当時、5社協定を破ってまで出演を決断なさった佐田啓二さんの時代の動きを見極める目は、NHKはじめテレビ業界の大きな進歩につながったのだと思います。どの時代にもこのような方がいるから改革と進歩があるのですね。

60年の節目の年に配信されている大河ドラマ「どうする家康」への評価は賛否両論です。恐らく、今、また変化の時が来ているのだと思います。例えば、動物愛護の観点からの制限があったり、CGの導入などもそうです。どんな評価なのか、その理由について気になる方はこちらをおススメします!

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撮影技術は進歩することはあっても劣る事はないはず。提供する側の問題だけではなく、受け取る側も進歩していくべきだとも思います。視聴者側にも世代交代など変化はあります。

生田斗真さんは

「この頃の熱さを忘れてはいけません。テレビはこれからどう変わるのか、岐路に立っていると思います。人によって『もう1回頑張ろう』『今も負けていない』と捉え方が違うと思います。視聴者のみなさんにどう捉えていただけるか楽しみです」

と語っています。今、このタイミングでこのドラマ!NHKやっぱりすごいな、と思いました。

この記事では

山岡新平は実在するのか?大河ドラマが生まれた日は実話!
大河ドラマが生まれた日 キャスト
大河ドラマが生まれた日 再放送と見逃し配信情報

以上の事についてまとめています。

最後までお付き合いくださってありがとうございました。 〈Pinoko編集部〉



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